Interview - 過去学び、今生きる -

新型コロナウイルスへの提言

コロナ・パンデミックでは、「ひきこもり」が急増したという。2022年に内閣府が行った調査によると、15〜64歳の「ひきこもり状態にある人」は約146万人。2018年の前回調査の115万人からわずか4年で約30万人に増加。国民の50人に1人がひきこもりという計算になる。「社会的ひきこもり」研究の第一人者である斎藤環氏は、パンデミック下で不登校や失業が急増したのに加え、適切なサポートにつながらず多くの人々が引きこもりに移行し、現在も苦しんでいると指摘する。 一方で斎藤氏が危惧しているのは、コロナ禍で人々に生まれた「他者嫌悪」の心理。「3密回避」のため人と距離を保つことは医学的要請であったが、それが「感染者は非道徳的」という倫理観につながり「自粛警察」が登場。他者への不寛容さが、現在みられる「ヘイトスピーチ」や「移民排斥運動」の意識につながっていると分析する。 コロナパンデミックの爪痕は、人と人とのつながりが急速に変容していく社会に、どのような影響を及ぼしているのか。話を聞いた。

ProfileView More

1961年 岩手県生まれ。1986年 筑波大学医学専門学群卒 、1987年 爽風会佐々木病院 精神科勤務。「ひきこもり」を“病気”としてではなく、“社会との関係性の中で生まれる現象”と捉え、「社会的ひきこもり」という概念を提唱。本人や家族に寄り添う支援の実践と研究に取り組む。 2013年 筑波大学医学 医療系 保健医療学域 社会精神保健学分野教授に着任。フィンランドで開発された、精神疾患を持つ人への対話を通じたケア「オープンダイアローグ」を研究。日本における第一人者として実践、普及に取り組んでいる。批評家、文筆家としての活動も精力的に行い、2000年のパンデミック以降、コロナ禍における社会のありようやこころの問題を考察、各種メディアで発信している。

Clip.01急増した「コロナうつ」と「ひきこもり」
Clip.02ひきこもりで家庭が「密室化」するリスク
Clip.03コロナ禍で増えた、女性と子どもの自死
Clip.04コロナ禍で進む“不寛容” 「他者恐怖」「他者嫌悪」
Clip.05メディアはワクチンをどう伝え、人々はどう受け止めたか
Clip.06「陰謀論」を加速させたSNSや動画サイト
Clip.07「オンライン」と「対面」の価値
Clip.08次のパンデミックに備えるべきこと
Interview Noteインタビュー全文
Clip.01急増した「コロナうつ」と「ひきこもり」

自粛で、緊急事態宣言等で大きな影響と思ったのは、自粛の中でひきこもって長期間 社交ができない人が、非常に苦痛を訴えていたと。常に人と会っていないとストレスや苦しさを感じる人はこんなにいるんだということを改めて驚かされたということがありました。「コロナうつ」という“病名”といいますか、正式名称ではないんですけれども、対人関係がない、人に会わないという状況が続くと、だんだん人間の欲望というのは減っていくものなんです基本的に。「欲がない」という状況がどんどん進んでいくと、それはエネルギーが枯れた状態になってしまって、これが限りなくうつ状態に近い状況になってしまうということが起きたと思っています。 例えば「不登校」とか「失業」とか、あるいは「就労の失敗」とか「病気」とか、いろんな原因でひきこもりは起こるんですけれども、特にこのコロナ禍においては、ひきこもりが増加したと考えるに足る根拠がいくつかあって、内閣府の2023年(に発表。2022年の調査)ですけれども(ひきこもりが推計)146万人という数は、相当コロナ禍で増えた数が反映されていると私は考えてますけれども。それは不登校が急増しました。失業者も増えました。病気の人も当然増えたわけですし、家にひきこもる時期が長かった人は、もう一回復職するとか、再登校するとか、社会参加する段階でつまずく人が非常に多いんです。長く人に会わずにいたので、もう一回、人の中に入っていくというストレスに耐えられないという人が、ここで一気に増えたと考えていいと思います。ですから、コロナ禍でひきこもった人は今でもひきこもっている人が多いと思います。そういった意味では影響がまだ残っていると言えるんじゃないでしょうか。

Clip.02ひきこもりで家庭が「密室化」するリスク

家庭でひきこもり起こった場合、家庭はすぐ「密室化」しちゃうんですね。 他人の目が入らない状況になる。家庭内というのはパワーの関係がはっきりあって、親が強くて子どもが弱いというのは歴然としていますし、夫婦間でも夫が強くて妻が弱いっていう力の差が、つまりヒエラルキーがありますよね。 密室があってヒエラルキーがあると、すごくその空間が病理化しやすいということは昔から知られておりまして、例えば、そこで人間の心理は「退行」しやすい=幼児化しやすいということが知られています。幼児化して何が起こるかといいますと、幼児化しますとですね、精神状態というのはすごく極端な「白黒思考」に傾きやすいという傾向を持っています。 それからもう一つは「投影性同一視」と言いますけれども、自分の苦しさを相手に投影して相手のせいにしてしまうとかですね。そういう心理メカニズムがあって、これが人の攻撃性を高める2大要素と私は考えています。日々ストレスを抱えて生活していても、グレーゾーンを耐えられる人はそれぞれのストレスをこなしていけますけれども、それができない「100 or 0思考」の方は、ちょっとした不満があってもキレてしまう。怒ってしまう。相手の人にぶつけてしまう。自分自身のみじめな気持ちとか、そういったものを相手に投影して「相手は自分のことを蔑んでいる」とか思い込んでしまって、それで相手に怒りをぶつけてしまうという、そういう点では「妄想」に近いんですけれども、この思い込みは結構強力で、密室が壊れない範囲で続いちゃうんです。 ですので、こういった思いが夫婦間にあったりすると、いさかいが激しくなりやすいし、DVの温床になりやすいですし、時には子どもにそれを投影して、子に対する虐待が起こってしまうということもあり得ます。ともかくこの「密室と権力構造」がずっとある状況は本当に不健全になりやすいですから、「対面」ができないことがいかに多くの人に対して甚大なダメージを与えたかってことは、想像を絶するものがありますけれども、このストレスを発散する場合に、いま申し上げたような攻撃性がセットになってしまうと、非常に時として激しく持続的な暴力になってしまう可能性がありますので、そこに第三者の視点が入ることはすごく大事だと思っています。

Clip.03コロナ禍で増えた、女性と子どもの自死

自殺人口の中で、どこの国で統計をとっても、男性の自殺率は女性の2倍から3倍なんです。これが常識だったんですけれども、今回のコロナ禍においては、女性の自殺率が男性に迫る勢いで増加した。超えはしませんでしたけれども、かなり急接近したんです。これは前代未聞のことで結構驚きましたけれども、いろいろ原因を想定してみたんですけれども、なぜそもそも女性の自殺率が男性より低いかということを考える時に、よく言われますのは、女性の場合は「横のつながり」のソーシャルキャピタルがあって、いわゆる井戸端会議的な仲間のつながりが横にあって、このつながりの中で愚痴をこぼしたりとか「援助希求」をしたりとか、そういう表出がまめにできるということが結構ストレスケアになっている可能性が高いと言われていました。ということは、このコロナ禍ではその回路が塞がれちゃったわけですよね。横のつながりを持つ機会が全部奪われてしまって、ストレスを発散する機会がないことがまずありました。 それから女性は「経済弱者」になりやすいところがあって、非正規労働の割合が高いとかですね、非常に経済的困窮しやすい立場になったということもあるでしょうし、仮に家庭があっても、家庭内でも家事労働やケアワークを全部女性に任されてしまうということで、ストレスがどんどん増えていく。その増えたストレスを発散する場所がないということで、追い詰められやすい、といったようなことが2重3重に重なって、自殺に追い込まれる人が増えたのかなというふうに考えています。 子どもの(自殺率の)増加も結構顕著でしたけれども、子どもに関しては、やはり家庭内ストレスが大きな要因と、居場所がもう家庭しかないと。その家庭のありようが、コロナ禍において「はさみ状格差」と言ったりしていますけれども、もともと仲のいい家庭はますます親密になる代わりに、もともと険悪だった家庭はますます対立が急峻化して、険悪になっていくということが知られていまして、特に両親の不和とか対立があったりすると、その板挟みで子どもはすごくつらい思いをする、追い込まれる、居場所を失うということが起こりやすかったと思うんです。その辺が結構響いていて、孤立した子どもが一人でストレスを抱え込んでしまって、自殺せざるを得ない状況なってしまうということが起きたのかもしれないと思っています。 報道を見ていて非常に疑問だったのは、登校が再開して「子どもが目を輝かせて学校に戻ってきました」みたいなニュースがいっぱい流れましたけれども、それは絶対ウソでですね、すごくどんよりした気持ちで、しぶしぶ学校に戻った人もいっぱいいたはずなんですよ。ましてやそこまでたどり着けずに、「登校は始まったけれども自分はどうしても行けなかった」みたいな人がいっぱいいたはずで、その「段差」の存在に対するケアがほぼなかったと言っていいと思います。例えば具体的には、せっかくリモート授業の枠ができたんですから、再開しても戻ってこられない生徒のためにリモート枠は残して欲しかったんですけれども、多くの学校が雪崩を打って、リモートをやめて対面授業に移行しましたよね。 ちょっとこれはだから、「生徒は学校が好きだ」という前提を自明にしすぎていると思いました。半数行くかはわかりませんけれども、結構な割合で多くの生徒さんは再登校に対して、じくじたる思いというか、ちょっと気が進まないなということを思いながら、やっと出てきて、通ううちに慣れてくる人もいれば、出てくることもかなわず、再登校が始まっても家にこもったままっていう人もいたでしょうし、そういうお子さんに対する配慮、ケアという発想が乏しいんですよね。だから、来られない生徒に対するケアとか、様々な発達に問題を抱えた人のケアとか、そういった部分はいまだに低質であるという印象を持っています。

Clip.04コロナ禍で進む“不寛容” 「他者恐怖」「他者嫌悪」

気になっているのは、おそらくコロナ禍の詳しい記憶は皆さんもだんだん忘れてきていると思うんですよ。私も忘れていますし、多くの人が忘れてると思いますし。 一方で「自粛警察」とか「他者嫌悪」とか、そういった心情の在り方みたいなものですね、これだけは何か残っていて、それがむしろ先鋭化してきているなということを、最近の風潮を見ると考えてしまいます。 コロナ禍で、特に感染予防という視点で「3密の排除」とかですね、「3密」を回避して、いわゆるソーシャルディスタンスをとって感染を避けましょうみたいなキャンペーンがあったわけですけれども、これは医学的な要請であって、間違えてはいないわけですね。感染を避けるためには、ちゃんとマスクをして対人距離を取って、できるだけエアロゾルが交わらないように生活をするということは重要なんですけれども、ただ、この姿勢はですね、しばしばすごい「禁欲的な姿勢」になってしまいますよね。人と交際してもダメだし、ましてやライブに行ったりとか、対面で飲みに行ったりとか、「もってのほか」みたいなですね。そういう、重なっちゃったわけですよね。「娯楽を楽しむこと」と「感染予防」ということがですね、相反するものとして広まってしまったと。当初よくあったことが今でも覚えてますけれども、感染した人が批判されるということがしばしば起こってきていて、「どうせ遊びに行ったんだろう?」とか、「どうせ濃厚接触したんだろう?」とか、そういう疑いをかけられてしまって非難されるということがしばしば起こっていて、非常に危険な兆候だなと感じていました。 当時私も思った、自分で違和感があったのは、買い物に行って、人が近づいてくると自然に避けたくなってしまうという心理があるわけです。「この感覚が残っちゃったらやばいな」と、「危険だな」と痛感したわけです。要するに「他者は不潔である」という、そういう先入観として残ってしまう可能性があるかもしれないと。 だからそれこそ「人々と交わる人は道徳的ではない」とか、「人は汚れた存在だから避けなきゃならない」とか、そういう間違った倫理観として感染予防の意識が定着したらやばいなと思っていて、私はこれを「コロナ・ピューリタニズム」と仮に名付けたんですけれども、要するにコロナを避けるためにはピューリタン=清教徒のような清らかな生活を送らなければ「正しいコロナ予防」とは言えないという認識が一時、広まったわけですよね。 本来これは「医学的要請」であって、全然「道徳」や「倫理」に関係ないんですけれども、いつの間にかそれがすり替わっちゃって、みんなの気持ちの中に「感染したやつは不道徳なやつだ」みたいな、そういう間違った考えが結構浸透していったと思うんですよね。 「自粛警察」なんか典型ですけれども、道端で子どもが遊んでいると注意しに行ったりとかですね、そういうレベルまで浸透しちゃったわけですけれども。とにかく「外出したりとか楽しんだりする連中は気に入らん」というふうな風潮が、一種の「自粛警察ムーブメント」につながっていったと思っていますけれども、同調圧力とか世間体とか、同調圧力の器としては「世間」という強力なものがありますから、これがすごく「後押し」した部分というのは大きいと思いますね。 この辺から始まっていったのが、私は「他者恐怖」と思っていて、自分にとって異質な他者のことに対する不寛容、この場合で言えば「コロナに感染するような不道徳な人間は排除しよう」みたいな。世のため人のためになると思ってやっていると思うんですけれども、結果的にそれが他者への不寛容に繋がってしまっている。それがいまに至る「ヘイトスピーチ」とか、様々な「移民排斥運動」とか「移民嫌悪」とか、そういった意識にかなり深いところで結びついている。そう考えないと、全世界的にその移民排斥みたいなことが一斉に起こるとか、反ワクチン運動が盛り上がるとか、そういうことがうまく説明できない気がしますので、やっぱりコロナ禍の記憶が形を変えて、いま現されているというふうに私は思っています。

Clip.05メディアはワクチンをどう伝え、人々はどう受け止めたか

ワクチン報道は(子宮頸がん予防の)HPVワクチンのときに比べれば相当まともだったと言っていいと思います。当時は「HPVワクチンの副反応がヤバい」という一大キャンペーンを張って、結果的に子宮頚がんの罹患率が日本だけ高いという状況につながっちゃうわけですけれども、あの頃の副反応恐怖みたいなものも、今回の反ワクチンに絡んでしまっているところも多分にあるんじゃないかと。といいますのは、私の周りにも反HPVワクチンの急先鋒がいますけど、例外なくコロナ関しても反ワクチンですから、ワクチンということに対する拒否反応が強いんだと思います。それにはいろんな事情があって結構意外に根強いのは「厚労省がやることは信用できない」という水俣病以来の伝統がありまして、それから反ワクチンは陰謀説と結びついたりとかして、結構人々の同意を集めやすい動きだと思います。これに関しては、ある方の意見を参照しますと、陰謀説とか反ワクチンというのは「常識に逆らう」という体で、人々よりも自分の知的能力が高いような錯覚を与えてくれると。つまり「みんなが信奉する常識の裏側にはこんな事実があるんだ」ということを思うことで、知的優位に立てるという幻想があって、結構そういった魅力が無視できないものがあると私も思いますし、「自分だけが世界の真実を知っている」という優位性の誘惑って、結構、抵抗しがたいものがあるということはよくわかります。でも、疫学の歴史を考えても分かる通り、ワクチンは最も人の命を広範囲に救ってきたという意味では最も優れた医療テクノロジーですから、例外もあるにしても、ある程度エビデンスが確立されたものに関しては疑う余地はないと。今回私は、日本で比較的コロナ・パンデミックの死者が結構少なかったと、結果的には言えると思うんですけども、やっぱり大きな功績は、(当時首相だった)菅義偉さんが早い段階で、強力にワクチンを購入してきて接種を広げたからっていう、すごくそういう意味ではあの時の首相の決断に私は感謝していますし、非常に偉大な業績とそこは評価しているところではあります。あれなかったらもっと死者が増えていたと思いますし。そういう事実があってもなお副反応の方を強調して、ワクチン被害の方を注目する人が多いっていうのは、やっぱり予防医学ってのは報われないんだなってことをつくづく感じますね。健康な人が受ける医療ですから効果が“実感”できないのは分かりますし、でも理性的に考えてほしいっていうのがありますね。

Clip.06「陰謀論」を加速させたSNSや動画サイト

SNSは、最近では動画サイトもそうですけれども、フィルターバブルを起こしやすいと。それとエコーチェンバー化しやすいということは早くから知られていましたけれども、特に今回それが顕著だったと思いますし、反ワクチンや陰謀論の主張っていうのは、それこそ視聴者を獲得しやすいということもあってですね。発信者が(情報を)信じていなくても、とにかく多くの人が閲覧すると分かれば、その方向で発信するのは自然の流れですから。そういう感じでどんどんエコーチェンバー化が進んでしまうっていうのは分かる気がしますけれども、これも非常に有害な過程かなと思います。 SNSもほぼ同様のメカニズムを持っていると思いますけれども、最近は本当に動画の力が強くて、やっぱり動画サイトの魅力っていうのは、自分で発見したと思わせる力が大きいと思いますね。実はどんどん向こうからアルゴリズムで流れてくるだけの同種の動画に過ぎないんですけれども、意識としては「自分で探して自分で発見した真実」みたいな意識に繋がりやすいところもあって。 思ったんですけどSNSっていうのはウソ情報を発信すると直ちにツッコミが入って打ち消される力が強いんですよ。「X」なんて特にそうですけれども。ニセ科学の情報を流したりすると、ワーッとツッコミ入りますから、割とこう否定されてしまうことが多いと思うんですけど、動画って「対抗する動画」をすぐ流せませんよね。コメント欄にはツッコメますけれども、誰も読みませんから、そんなところはね。動画の中だけ見る分にはツッコミが入りにくいことになっていると思います。そういう意味では、SNSよりも動画の方がより純粋に、独特の価値観を形成しやすい環境と言えるかもしれません。 あれほどディベート文化が云々っていっているアメリカですら「トランプの言ってることを一方的に垂れ流して、みんながそこに食らいつく」という構図になっちゃってますよね。完全に。だから、それに対抗する影響力を持つための魅力をどう対抗意見に持たせることができるかというのは、本当に難しい問題としか言いようがない。

Clip.07「オンライン」と「対面」の価値

コロナ禍は「人と人が会う意味ってあるの?」という、かなり本質的な疑問に対するいろんな答えが見えた貴重な時期だと思ってます。私の考えでは、ほとんどの情報交換、会議とか、あるいは説得とか説明とか、ほぼオンラインで代行できることが分かったと思っています。現に今でも会議の一部はオンラインが残っていますよね。あれは本当に良い遺産で、儀式的な会議はオンラインで全然OKという、良い感じのことを私は評価したいと思ってますし、仕事の一部もテレワークが残ってますし、医療の現場でもオンライン診療が大幅に緩和されましたから、すごいこれは恩恵が大きいと思っていますが、分かったことは、一つはですね、「実際に会わないと関係性を維持できない」ということがはっきりしたと思います。端的に言うと、診療はオンラインの対面でもどちらも同じぐらい効果はあるんですけれども、オンラインの方が(関係が)切れやすいんですよね。中断しやすい。これはオンラインの大きな弱点の一つと思っています。人間関係だけは、時々会って強化していかないと切れてしまいやすいということは、はっきり言えると思います。だから、関係性が大事な領域、教育とか医療とか、徒弟制度もそうですけれども、そういった領域では対面じゃないと続けられないということがはっきりしたと言っていいと思います。 例えば、ある種の発達特性を持った人にとっては、対面の関係がすごくつらかったりするわけですよね。このつらさに対しても配慮ができるというのも、このコロナ禍以降に現れたものの見方だと言っていいと思います。人間関係は対面がなければ維持できないけれども、それがつらい人もいる。それがつらい人にとっては、オンライン環境があった方がスムーズなんだということも言える。 この2つの認識を大事にしていきたいと思っています。

Clip.08次のパンデミックに備えるべきこと

まずは「詳細に記録を残す」ということが大事で、何度もいいますけど覚えていられませんから、パンデミックは。あまりにもドラマ性がないので。まず「どんなことが起こったか」「どんな失敗があったか」詳しく記録することが大事だと思っています。 ワクチンに関しては、ともかく少しでも有望なものがあったらどんどん導入して、感染の広がりを防ぐってことが大事だということは言えると思いますし、それから社会的にはオンラインをどう活用するかということを、もう良い教訓がいっぱい得られたと思いますから。コロナ禍でインフラは随分進んだと思います。zoomが流行ったのもコロナ禍のお陰だと思ってますから、それを考えると、「在るインフラ」を活かしていきましょうと。これはさっきの学校教育についてでも言いましたけれども、来られない子どもにはオンラインでやればいいと思うんですけど、学校が頑なにそれをしないんですよね。あれ本当に不思議なんですけれども。せめてインフラは残しておいてほしいと。休校になってもオンライン授業ができるような体制は、常に切り替えられるようにあった方がいいということは是非申し上げておきたいですし、そういうインフラの整備がいかに人々の生活を維持するのに大事かということを、しっかり記憶に留めて、「対面至上主義」にならないようにしていただきたいです。 職場も同様です。多くの職場がテレワークに移行したのに、戻っちゃいましたけれども、インフラは残しておいてやっぱり、移行できるようにしておいてほしいということはありますね。 それからやっぱり「メンタリティの変化」ですよね。「自粛警察」みたいなことは起こりやすいということを踏まえて、それが暴走しないように、例えば「3密回避」を言う時も、そこに配慮した言い方にするとか、そういうことはあってもいいと思いますし、変な倫理観に結びつかないようにしっかり予防してほしいと思います。

Related contents関連コンテンツ
パンデミックを“最小化” クラスター対策の役割
  • 国立健康危機管理研究機構 国立感染症研究所
  • 応用疫学研究センター長、人材育成局 研究企画部部長(併任)
砂川 富正
2025.12.01View More
新型コロナウイルス 日本の感染対策の検証と提言・ロングインタビュー
  • 新型コロナウイルス感染症対策分科会 元会長
  • 公益財団法人結核予防会 理事長
尾身 茂
2025.10.01View More
「医療か、経済か」だけでなく 「人権」を軸に考える
  • 沖縄県立中部病院
  • 感染症内科・地域ケア科 副部長
高山 義浩
2025.09.30View More
訪問診療からみたコロナ医療と プライマリ・ケアの役割
  • 医療法人社団 悠翔会 理事長
  • 訪問診療医
佐々木 淳
2025.10.01View More
2度のコロナ感染と遠距離介護 未曾有の“コロナ禍5年”を振り返る
  • 俳優・タレント
柴田 理恵
2025.10.01View More
新型コロナウイルスという恐怖 〜 専門医が見たパンデミック
  • 大阪大学医学部附属病院 感染症内科 診療科長
  • 大阪大学大学院医学系研究科感染制御医学講座(感染制御学)教授
忽那 賢志(くつな さとし)
2025.11.05View More
感染症専門医が見たコロナ 今も続く感染症との向き合い方
  • 国際医療福祉大学医学部感染症学講座 代表教授
  • 同 成田病院感染制御部 部長
松本 哲哉
2025.10.01View More