Interview - 過去学び、今生きる -

新型コロナウイルスへの提言

2度のコロナ感染と遠距離介護 未曾有の“コロナ禍5年”を振り返る
  • 俳優・タレント
柴田 理恵

俳優として活躍する柴田理恵さん。コロナ禍では2度の感染に加え、離れて暮らす母親の遠距離介護にも奔走した思いを聞く▽新型コロナウイルスは未知の物体X⁉▽芸能界の友人の死が社会に与えた影響▽俳優仲間の暮らしを大きく変えた緊急事態宣言その影響は?▽行動制限の中で感じた親子それぞれの不安 遠距離介護とコロナ禍▽ワクチン接種と抗ウイルス薬 2度の感染を受けて感じたこと▽コロナ禍で得られたものもあるなど5年を経ていまどう感じているのかを語る。

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富山県出身。明治大学文学部演劇学科卒業。劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、1984年に久本雅美らとWAHAHA本舗を設立する。バラエティ、テレビドラマ、映画、ラジオと多方面で活躍中である。最近では劇団公演以外にも小劇場の舞台に精力的に出演している。主な出演作は「女神のマルシェ」ドラマ「ひよっこ」「続・最後から二番目の恋」映画「化粧師」「来る」舞台「喜劇売らいでか!」「雪まろげ」「わらいのまち」など多数。2022年に新型コロナウイルスの感染も経験した。

Clip.01新型コロナウイルス 志村けんさん、そして岡江久美子さんのこと
Clip.02緊急事態宣言 仕事への影響は?
Clip.03コロナ禍での遠距離介護
Clip.042度の感染を経験して ワクチンと抗ウイルス薬
Clip.05長く続いたコロナ禍 いま改めて思うことは?
Clip.06コロナが5類になって ウィズコロナに思うこと
Interview Noteインタビュー全文
Clip.01新型コロナウイルス 志村けんさん、そして岡江久美子さんのこと

○新型コロナウイルス関連のニュースが流れ始め 感じたこと 最初は「一体何が起きたんだろう?」みたいな。ちょっと半分SFチックな、映画の中でよくあるじゃないですか。わけのわからない細菌が繁殖しだして、それがじわじわと人間社会に影響を及ぼすみたいな。わけのわからない正体のものがどんどん忍び寄ってくるという感じで怖かったです。1月の頃って、ちょうど船の中で ああだこうだしている時に、北海道に行く仕事がありまして、その時にみんなマスクか何かをしなきゃいけないって飛行機の中で言われたんですよ。それでどなたかお客さんがマスクを拒否する方がいらっしゃって、それで出発も随分遅れて、なんか大問題みたいになって、えーって、どういうことこれ…、みんなしろと言われているからしているけど、しない人ってどういうこと?マスクしろって怖いのかな?というのと、「嫌だ!」という人がいて、「嫌だ!」という人は「それはいけません、やめてください!」みたいになっているということは、「え?どういうこと?」っていう…やっぱりこれはただ事ならぬものなんじゃないのかなと思いました。それでも日常生活で私たちはその頃そんなにマスクはしてなかったですよ。 ○連日 繰り返されるニュース いやな思いは? それはそうですよ。なんていうの?「宇宙からの物体X」がどんどん日本を浸食していってるという感じ。「えー何!?」「わー、まだ茨城が出てない」とか「出ちゃった!」とか。「富山はどうだろう…あー出ちゃった」とかね。そういうのを岩手、岩手は出ないんだね。やっぱり頑張ってるね。岩手の人たちは真面目だから頑張って、きちんとする県民性ってあるじゃないですか。そういうので東北の人たちは「こうした方がいいですよ」って言うと「ちゃんと守りましょう」っていう人たちだから出ないのかな?とかって言ってました。 ○志村けんさん 岡江久美子さんが亡くなりました 2月に志村さんのお誕生会があって、みんなでお祝いの会をやって。志村さんは割と薄いお酒をお飲みになっていたんですけれど。だから、その前に何かちょっと手術か何かなされたということで、それでもみんなのお相手はしてくださっていて、でもご自身としては抑えて、お酒はそんなにたくさん召し上がっていなかったと思うのですけれども、でもそうやって相変わらずみんなとこうやって喋っていて、すごく楽しい夜だったんです。それが少ししたら感染なさったというのを聞いて、えーとなって、それがそのままああいう形になってしまって、本当にショックでした。あれで一挙にみんな「えー」ってなったんだなと思います。私たちも、これはもう大変なことだというふうになったと思います。本当にすごい病気なんだなというそんな風に思いました。とても怖いものだと思いました。 岡江久美子さんがなられて、(大和田)獏さんが全然お見舞いにも行けなくて、それで「会っちゃいけない」となって、そして全然連絡も取れない。帰ってきたのがお骨で、しかも玄関先に置かれてたというのがあったじゃないですか。あれはかわいそうでかわいそうでもう…、獏さんのお気持ちを考えるともう…胸が張り裂けそうになりましたけども、ああいうことが自分にも起きるかもしれないというのが、それが怖かったですね。だからやっぱり、志村さんと岡井久美子さんの存在が大きかったですかね。

Clip.02緊急事態宣言 仕事への影響は?

○2020年4月 緊急事態宣言発動へ 仕事への影響 (仕事が)ピタッと止まりました。いろんな新しく番組も撮らないし。前の回やったやつになったりするし、ラジオもリモートになったりするし、仕事本当になくなりましたから、「この先どうなるんだろう」これからもちろん芝居はやっちゃいけない、舞台もできない、撮影もない、バラエティーもないとなった時に「これからどうやって私たち生活していくのかな」って思いました。 ○若手の役者さん 生活への影響 大変だったと思います。バイトをしている子たちもできなくなってたし、飲食店なんて閉まっちゃってたんだよね、あの頃って。だから飲食店で仕事をしている人たちも(仕事が)なかったし、みんな本当にバイトもないし、どうやって生活していくんだろう…あの給付金みたいなやつ、「ちゃんとみんなもらえているのかな?どうするのかな?」というのがすごい心配してましたね。だからLINEとかで「大丈夫?元気?」とかって、よくみんなで連絡し合ってましたよ。 ○舞台の仕事 いつ再開? 20年の4月に、本当だったらWAHAHA本舗の(公演)をするはずだったんですけれども、それができなくなって舞台できないのかと思っていたんですけれども、渡辺えりさんが舞台をおやりになって、本当歯抜けの状態のような、一人置いたら3つ空けてみたいな、そういう舞台だったですけれども、見に行って、やっぱりこうやって頑張るってすごいなって思って思いまして。その前からお話はあったから、やっぱりちゃんとやろうと思って、9月の末ぐらいから稽古が始まって、10月末から11月、12月ぐらいにかけてのツアーをやりましたね。 お客さんもすごく少なかったですよ。少なかったですけれども、やることに意義があったし、それから自分が観に行った時に、お客さんが満員であろうとなかろうと、観てるお客さんは関係ないんです。 映画を観に行ってさ「満員のお客さんだからこの映画すごかった」じゃなくて、ガラガラでもいいものはいいじゃないですか。自分がお客さんとして舞台を観に行ったときに、お客さんが少なかろうが、いいものはよかったから。だから、逆に自分がやるときに、自分たちが「この作品はいいんだ」と思ってやってお届けしてて、楽しくやるってことがまず第一で、お客さんはそんなことは気にしないで。だから、少ないお客さんでも喜んでくださる方は本当に喜んでくださったんで、だから「あんまり気にしないんだ」って思い切ってやっていました。 原点は何かっていうと、やっぱりもちろんお客さんに喜んでいただくのが舞台の原点だとは思うんですけれども、あまり少ないとか多いとかということに、それは多いに越したことはないけどね、だけれどもそこまでこだわる自分が寂しくなるということはちょっと間違っているかなっていう。その頃から配信とかいっぱい始まったじゃないですか。そうやってでも新しい作品を生み出したいと思う皆さんの気持ちというのを、すごく逆に熱くなっていったんじゃないかなと思うんですよね。

Clip.03コロナ禍での遠距離介護

○遠距離での 親との付き合い方 やっぱり田舎の親とか心配だったですね。お年寄りの人とか体の弱い人たちがまず危ないんじゃないですか。働き手も大変だけど、とにかくお子さんと年寄り、大丈夫なのかなというのをすごく思いました。うちの母は一人暮らしをしていましたので、とにかく毎日電話は毎日していましたね。「大丈夫?」って言ったら「大丈夫。大丈夫、大丈夫」。うちの田舎はまだ全然そんなにまだ出てなかったし、あんまり不特定多数の人の所に行く人でもないですから、もう年寄りですから。でもお茶は教えに行ってたのかな。行ってたけど、その頃、子供たちのクラブ活動みたいなものがやってたかどうか、そういうのも一旦ちょっと中止みたいになってたんじゃないかとは思うんですけれども、そうすれば、ほとんど家にいることになるじゃないですか。たまにお友達と会うとか、そんなもんぐらいになっていたので、いろんな人と会うという感染の心配はしなくてよかったですけれども、そこは安心でしたけれども。東京に比べれば、そういう不特定多数の知らない人と一緒になるってこともあんまりないし、電車に乗るわけではないですし。 その頃まだ母も、そこまで体が弱くてもうだめだみたいな感じではなかったので、わりと電話で済ますということも多かったですし、病弱ってほどでもなかったんですよね。ちょこちょこ転んだりして…とかそういうのもありましたけれども、でもまだしっかりしてたんですよね。だからそこまで頻繁に心配心配っていうのでもなかった。 だけど(私が)帰るといってもそんな簡単には帰れない、そんな「不要不急」はだめですから簡単には帰れなかったですけれども、全く帰らない風潮もあったじゃないですか。お盆にも帰らない、お正月にも帰らない。それはしませんでした、ちゃんと帰りました。 ○実家に帰る上で 不安や 気にかけた点は? 別にその…何で自分の親に会うのにね、世間様の目を気にして、せっかくのお盆とお正月なんだから、それを親がずっと楽しみにしてたことなんだから「これは帰んなきゃだめだ」って、毎月毎月帰るってことはさすがに控えましたけれども、帰りましたよ。だからちゃんと。「証明」を持って。 車のフロントガラスに「コロナじゃありません」って証明書を貼るとか、「私たちはちゃんと安全対策して帰ってきています」みたいにして貼ろうって。他県の車を見ると、危ないっていう風潮があったでしょう。他県の車を見ると「こんなものが来て」みたいになんかされるっていうのもあったから、「そんなの冗談じゃないよ」と思って。それからその最中にでも、うちの母がちょっと入院したりした時でも、ちゃんと証明書を持って「大丈夫です」っていうあれを持って入院したり、ちょっとショートステイで入っている時もそういうのを持って面会させてもらっていました。もうちょっと後半の方ですけどね。

Clip.042度の感染を経験して ワクチンと抗ウイルス薬

○ワクチン接種への不安は? だって受けないと仕事がありますから絶対受けようと思って、すぐに割と早い段階で受けましたよ。受けました。 仕事は、ちゃんとワクチンを打ってますからということでできますし、1回目のワクチンの時に、もうほんと、もう…39℃近い熱が何日も続いて、「う~う~」って。これはでもこの「コロナという悪魔に立ち向かうための力をつけてるんだから」と思って、「これはもう、これが終わったら絶対に私はこのコロナに勝てるんだ」と思って、もう必死にウンウン言いながら頑張りましたよ。 その熱が2〜3日続いてさ。そしたらさ、次の日、スカーって何にもなかったように、もうものすごい「ダ〜ッ」と走って、全身汗かいたらすかっとするじゃないですか。そんなくらいすかっとしたんですよ。だからほら、病気だったわけじゃないから。だから、ああ、こんなさわやかに汗って出るものなんだと思ったら「よーし勝った」と思いまして、すごい気持ちよかったのを覚えてます。 ○1回目のワクチン接種のころから 世間の風潮に変化を感じた (世間の)感染対策はまだまだだったと思いますけれども「どうなるんだろう」という閉塞的な気持ち、先行きが見えない絶望感みたいなそういうものは徐々になくなってきたんじゃないかなと思うんですよね。 ○2022年9月 自身も感染 その時の症状と気持ちは? コロナに感染したのかよく分からなかったんですけれども、ちょっと喉もチクチクしたし、前の副反応、1回目の時の副反応の時は喉がチクチクなんかなかったので「あれ?」って。一応もしかして心配だから(検査を)受けてみようと思って、この先の仕事もありますからと思って受けてみようと思って、それでお医者さんに行ったら「コロナです」ということになりまして。びっくりしましたし…だけどちょっとその頃には、重篤な形になられる方というのは、もともとの持病がおありになったりとか、少し体が弱っていらっしゃる方というふうにもお聞きしていたので、だから私は特定の病気も持っていませんし、だから、そこまで自分が大変なことになるというふうにはあまり思いませんでしたね。 喉がチクチクってなって…でもそんなに大したことなかったんです。38℃何分とかぐらいと37℃台後半ぐらいな、そんなぐらいで、しかも2日ぐらいでもう全然何もなくなって、私全然元気なのに仕事休んでるわと思って、家でもだから、家の人とは別に寝てたし、っていうふうな形にしてました。 バイデンさん(当時米大統領) がコロナになった、それでも次の日すぐ元気になったっていう薬があって、何て言う名前か分からないけど、お医者さんが「これバイデンが飲んでたやつだから絶対効くよ」ってくれたやつだから私はバイデンって呼んでんだけど、それ飲んだの。そしたらすぐ元気になった。 ○後遺症について 何かちょっと疲れやすいなみたいな、そういうのはあったような気がしますね。何か自分でも怖かったり、また、そこで体力がぐぐっと落ちて本番に影響したら嫌だなという思いもあったのかもしれないんですけれども、前よりもちょっと疲れやすかったような気もするなとは思いましたけども。 でも本番前にはもう元気になりましたから。だから9月にかかったから1か月弱で元気になりました。 ○コロナ感染を伝えることに抵抗は? 伝えないと、私たちの仕事は、だって伝えなきゃいけない。 だって制作の方とかにちゃんと言わないと、お仕事としてね、感染源になっちゃったら大変なので。 ○芸能界では新型コロナに感染すると皆さん謝罪をしていました  どう感じますか? 番組とかをやるということだったりすると、これは私一人の問題ではなくて、共演の方もいらっしゃれば、スタッフさん、とても大勢の方が関わっているじゃないですか、こういう業界は。だから、あの「申し訳ありませんでした」というのは別に世間に謝っているんじゃなくて、業界の関わったお仕事で迷惑をかけた人たちにってことだと私は捉えてましたね。 ○コロナ禍で変化したことは? お酒飲みに行くのも絶対ダメとか、芸能人が派手なところ歩いてたというだけで遊んでいるとか、そういうのあったじゃないですか。だからあれで飲みに行かなくなった人たちも随分いるし、私はその前からあんまり犬を飼ってからあんまり外行かなくなったんだけど、だけど本当にその頃から全然行かなくなったし、すごいのが舞台の“打ち上げ”ってものが消えたんですよ。 わかるんですよ、その役の中の大事な人が熱出して感染してしまうと、みんなに影響するから、というのはよく分かりますけども、「終わった後だからいいじゃない」っていうのもありますけどね。

Clip.05長く続いたコロナ禍 いま改めて思うことは?

○コロナ禍 改めて振り返って やっぱり2020年の頃、本当にその、あの年が一番何だか分からないけど怖いみたいな感じだったですもんね。それでもさ、すごい怖がっているけど、徹底しているところと、徹底していないところも両極あったような気がするんですよ。 「3密」とかありましたよね。マスクしなきゃいけないとか、手をいちいちすごく洗うだとか、消毒もしなきゃいけないんだとかというのが、すごいあれで…びっくりしたもん。家族の中でもタオルは一緒にしちゃいけないとか、家帰ってきたらまずシュッシュッてしてからもう一回手を洗って、あれしてこうしてというのは…本当に何かSFの映画の中に出てくるみたいな気持ちがして怖かったですね。でもやっぱりそれでもやっぱりタオルは共通のものになったりとかはしますけどね。だけどやっぱり手洗いとか、うち、ちゃんとしてたと思います。 それからよそのお友達とか、例えばマネージャーさんも来てくれるし、それから衣装さんとかメイクさんも来てくださるけれども、もちろんお友達が来たりしたら友達はもう来なかったね、その頃は。だけど、来た人が何人かいたら、必ず手を洗って、まず後ろを向いてシュッシュッシュッ、前向いてシュッシュッシュッてやってからうち入ってもらうとかしてました。 舞台の稽古場で、集団でかかった時があって、それは稽古場自体、その小学校を廃校にしたような稽古場で稽古している時に、それは成功した方じゃないんです…前後するけど、20年の4月にうちの芝居はなしになった。んで20年の7月くらいにもう一本、芝居の稽古が始まったんですよね。そしたらそこでの稽古場が本当にびっくりするくらい何の感染対策もしていなくて、例えばシュッシュッあれするとか、自分たちでその消毒ではしますよ。だけど、そこの稽古場の管理をしている大元自体が何もしてなくて、多分おそらくあのトイレでみんなかかったんだと思うんだけど、うちの芝居をやる稽古場でも即何人かかかっちゃって、私はかからなかったですけど、即何人がかかっちゃって。大きな稽古場だから、うちの芝居だけじゃなくて(他の劇団が)何件かやっていたんですよ。全部なったもんね。全部誰か出て、誰か出て、中止になったというあれがありましたから。その時うちの稽古場も2〜3人出て中止になったんですよ。4人ぐらい出たんだっけ。 本当に感染対策ってきちんとしないといけないと思いました。自衛も必要だし、皆でもやらなきゃいけないと思った。自分は自分ですごく守るけど、ほんのちょっとしたスイッチとか、ほんのちょっとしたことですよ、トイレとか、本当に。だからそういうことの対策はちゃんとしなくちゃいけないんだなとは思いましたよ。 ○社会も 徹底的な感染対策をするような雰囲気がありました 私はそこはちゃんとやった方がいいと思うタイプだったので、それは何かというと、かかっているお医者さんとか、整体の先生とか、理学療法士の先生だったから、その先生がいろんなお医者さんからの情報を教えてくださると「コロナっていうのは、飛沫感染もあるし、それから(大切なのは)手ですよ」って。「消毒です」って。やっぱり手を洗う、ちゃんと消毒する、っていうことはとても大事で、髪の毛にもそういう細菌がついていたら、髪の毛ってすぐ触って、すぐ顔周り触るじゃないですか。ここから来るから、ということも細かく言ってくれて「絶対手洗いです」ってすごく細かく言ってくれたんですよ。そのせいもあって、今でも手洗いと、消毒みたいなのとはすごくやってます。それはマネージャーさんが「こうやった方がいいです」ってきちんと言ってくださって、そのままで生活習慣になったという感じですけど。 コロナの間ってインフルエンザもなかったじゃないですか。あれはみんなトイレでちゃんと石鹸で洗ってたからですよ。本当に。尾身先生が毎日のように出られて、本当にあの方が一生懸命いろいろ教えてくださったから、私たちこうやってやってこれたんだなと思いますよ本当に。「消毒、手を洗ってください」とか、「飛沫が飛ばないようにこうしてください」とか、すごく言ってくれたから、みんなで頑張れたんじゃないのかなとは思います。

Clip.06コロナが5類になって ウィズコロナに思うこと

○コロナが5類になって 思うことは? いやーだから、不思議な感じというか…「あ、簡単に治るようになったんだ」って思ったんですけど、それなのにほら、「新型がまた出た」って言うじゃないですか。しかも「流行って、まん延してますよ」って。これは一体どういうことなのか、自分でどういうふうに捉えていいのかがちょっと分からないって感じと、でも、何かおおもとの“一番悪いやつ”がいたとして、それのそれの“変化型”…“変化型”…“変化型”ってなると、何か本当の悪い根っこというのがだんだん薄れていくのかな。だから弱くなっていってるのかな?という気持ちもあって。だって、そんな39℃の大熱を出して、うんうんっていうの聞かないし、重篤になられた方の報道がされてないからかもしれないですけれど、あまり見聞きしないので、だから軽くなったのかな?という気持ちもちょっとあったりするんですよね。 ○2025年 2度目の感染 どんな症状だった? 「あれ?なんでこんなに喉チクチクするのかな?」と思って。それで夜中に38℃1分の熱が出たんです。それで「あれ?」… コロナ流行っているというのは、ずっとこの夏の暑いさなかからずっとお医者さんが「流行っていますから気をつけた方がいいよ」って。「わかりました」とかって言ってて。だからマスクしないといけないと思って、ずっとマスクしていたんですよ。割と。どっちかというと人混みでは皆さん映画観に行くのも東京駅なんかでもあまりマスクなさっていないですけど、私はマスクしてたんですよ。やっぱり怖いなと思って。だから、たくさん流行っているから、いっぱい流行っているっていうから、これは私も仕事のこともあるので、一応検査した方がいいんじゃないのかなと思って、夜中に38℃は出たけれども、次の朝また平熱に戻っていて、それでお医者さんのところへ行って、こうやってやられても「あれ、平熱ですよ?」「そうでしょう?だけど何かちょっと、一応お仕事なので心配なので」と言っていってみたら、「コロナだよ」と言われて「あら〜って感じだったです。薬をもらい、それで治療しました。 ○コロナの経験を通して 課題として感じていることは? まず自分たちで今回 会得したのは、「ちゃんと自分たちでやれることはきちんとやる」。それすごく良かったことだと思うんです。例えば、手洗いをきちんとするとか、マスクをきちんとするとか、そういうことはとても大事なことだから、そういうことは私はやった方がいいと思う。だから、これから次にどんな病原菌が来るかわかりませんけれども、1度コロナでみんなで頑張れたんだから、次も頑張るべきだと思います。それと同時に、やはり体の弱い人はより今までよりももっともっと守らなきゃいけないなという、今までのコロナというものの経験を通して、そういうふうにすべきだなと思うのと、あとはあまり“あおる報道の仕方”がどうなのかな?というのはあるかもしれません。でも、危険を教えるってことは大事なんだけれども。ついこのなんか“犯人探し”みたいな、あの人がこうなったからとか、そういうのはね、なんかどうなのかなとは思いますよね。 だからこれから怖いのはSNSですよね。それが本当に正しいかどうかもわからないのに、ああだこうだって、それによって、わーって人が左右されるのが私は一番怖いですよ。ちょっとそこをちゃんとしないといけないなと思うから、これからもっとそういう意味では大変になっていくんじゃないのかなと思いますよね。“陰謀論”とかあるじゃない。「ワクチンは陰謀だ」とか、そういうのもあったじゃないですか。そういうのも私はどうかなとは思いますよね。

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